
なぜか。
「なぜキキの魔法が弱くなったのか」が気になったからです(笑)。
詳しくはぜひ見ていただきたいのですが、トンボと始めて打ち解けて、トンボのプロペラ付き自転車で走った後、トンボとけんか別れのようになり、キキの魔法は弱くなります。
まず、発端は相棒のクロネコ、ジジの言葉がわかんなくなります。
これは、それまでジジが特別なのではなく、キキの魔法で猫の言葉がわかっていたにすぎなかったようです(wikipediaより)。
さらに、危機を感じたキキは(シャレではありませんよ)、ホウキで飛んでみようとしますが、飛べないことに気がつきます。
その後、森の中の絵描きのウルスラの小屋に泊まりに行き、彼女の絵が描けなくなることがある、という話を聞きます。
そして、トンボの危機に瀕して、キキの魔法は復活していくことになります。復活できたのは、「強い思い」があっからのように思いました。
この作品をもう一度見ようと思ったのは、「なぜキキの魔法が弱くなったのか」ということについて、自分の中に答えがなかったからです。
そして、今見直してみても、作品の中に明示された原因はないように思います。
そして、それでいいのかもしれない、と思いました。
われわれは、「作者の意図」を類推する鑑賞の仕方を子供の頃から強いられているのかもしれません。
キキの魔法が弱くなったのは、「トンボとけんかしたからだ」と思う人もいれば、「エゴが出たからだ」という人もいるかもしれません。
見る人10人に10個の「キキの魔法が弱くなった理由」があっていいのかもしれません。
鑑賞する作法というのは、もしかすると、キキの魔法が弱くなった理由と同じで、一つの答えはなくて、見る人によって違うものなのかもしれない、と思いました。
私は、恋をしたからと判断していました。見る人の判断に任せる作品、表現ができるようになりたいです。
返信削除高山さん
返信削除ありがとうございます。
なるほど、そういう見方もありますね。いずれにせよ、正解をさがすものではないのでしょうね。作品を見て、自分の中に湧き上がってくるものが、鑑賞の作法なのかもしれないですね。